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ベルカントの終焉とヴェリズモの始まり

ベルカントの終焉とヴェリズモの始まり






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オペラの歴史を扱っています。
このページでは
『ベルカントの終焉とヴェリズモの始まり』について紹介します。
音楽のイメージ写真
まとめ

ベルカントとは「美しい歌唱」という意味である。

ロッシーニ・ベッリーニ・ドニゼッティなどの19世紀前半のイタリアオペラはベルカントオペラと呼ばれる。

1837年デュプレが初めて「ファルセットでないハイC」を出し、オペラの聴衆を熱狂させた。
ヴェルディの時代のオペラは、よりドラマティックな表現のために歌手に大きい声を求めた

 

ソンツォーニョ社のオペラコンクールにおいてマスカーニ作曲『カヴァレリアルスティカーナ』が優勝。
レオンカヴァルロが刺激を受けて『道化師』を作曲。
ヴェリズモ時代の始まりとなる


カルーソーらによる発声改革が行われ、ヴェリズモの分厚いオーケストラにも負けない歌唱が生み出される

ベルカントの時代

ベルカントとは、15世紀末から18世紀にかけてイタリアで発達し、19世紀前半のロッシーニのオペラで完成をみた歌唱様式で、高度な歌唱装飾を伴うのを特徴とする。

ロッシーニ・ドニゼッティ・ベッリーニ等の19世紀前半のイタリアオペラは「ベルカントオペラ」と呼ばれる。


ベルカントという言葉は「美しい歌唱」という意味であり、17世紀前半から用いられていたが、常に懐古的な意味合いを持っていたという。「古きよき黄金時代の歌唱」と思われていたようだ。

ロッシーニの言によると、ベルカントとは@自然で美しい声A声域の高低にわたって均質な声B訓練によって高度に華麗な音楽も楽に発声できることである

1837年、ロッシーニ作曲『ウィリアムテル』においてデュプレがはじめて「ファルセットでないハイC」を出した。ロッシーニ自身は「雄鶏の金切り声」と嫌ったというが、オペラの聴衆は力強い声に熱狂し、次第にドラマティックな表現のオペラを求めるようになった。

その後、ヴェルディが登場。劇的表現を表現するために歌手にはより大きな声が求められた。

1858年、ロッシーニは「残念なことにわれらのベルカントは失われた」と発言した。

ベルカントの衰退には、オペラのアリアなどにおいてコロラトゥーラよりもドラマティックで内面的な表現へ徐々に推移していったことが背景にある。

 

ヴェリズモの始まり
ヴェリズモとは「真実主義」の直訳で、イタリアの作家ヴェルガらが「作品の題材を下級階層の生活にした」文学運動のことである。

イタリアでは、『リコルディ社』と『ソンツォーニョ社』の2つの出版社がしのぎを削っていた。

ヴェルディの版権を持つ『リコルディ社』に対抗して、『ソンツォーニョ社』が1883年からオペラコンクールを開催した。
このコンクールの1889年の優勝作品がマスカーニ作曲『カヴァレリア・スルティカーナ』であり、『カヴァレリア・ルスティカーナ』の成功に影響を受けたレオンカヴァッロが『道化師』を作曲した。
マスカーニはヴェルガ原作の作品を元に『カヴァレリア・ルスティカーナ』を作曲したので、ヴェリズモ・オペラという名称が一般的となった

ヴェリズモ・オペラは劇的表現を特徴とするので、オーケストラが分厚くなり歌手にも強く大きな声が求められるようになった。

エンリコ・カルーゾーらに認められる発声改革が行われ、これまでの下部胸式呼吸による発声から腹式呼吸による発声に移り変わっていく。以降新しい発声による歌唱が主流を占めるようになる