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ドイツオペラの誕生

ドイツオペラの誕生




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オペラの歴史を扱っています。

このページでは『ドイツオペラの誕生』について紹介します。
音楽のイメージ写真
まとめ

ドイツ皇帝ヨーゼフ2世のドイツ文化推進政策により、ドイツ語オペラ・演劇専用劇場が建設される

モーツァルトはドイツ語によるオペラ『後宮からの逃走』などを作曲した。

1789年にフランス革命がおこり、オペラの題材に影響を与える。フランスオペラコミックにおいても『救出オペラ』が人気を博す。

 

ナポレオン戦争により、文化の中心がフランス・パリへ移り、その後の7月王政期にフランス・パリにおいてグランドオペラというジャンルがおこる。

ドイツ語オペラの登場

これまでのオペラはイタリア語で作曲されるのが一般的であったが、1776年ドイツ皇帝ヨーゼフ2世がドイツ文化推進政策を行い、ドイツ語オペラを推進した。
このドイツ文化推進政策は、@ドイツ語使用度の向上A緊縮財政B貴族階級の特権の撤廃などを目的としたものであった。

1778年、ヨーゼフ2世はドイツ語オペラ・演劇専用劇場を建設し、ドイツ語によるオペラ(ジングシュピール)を作曲家に作らせた。
そして、1782年モーツァルトがドイツ語オペラ『後宮からの逃走』を作曲し、1791年『魔笛』というジングシュピールの最高傑作が生まれた。

 

激動の時代

@フランス革命とナポレオンの時代

1789年、フランス革命がおこり、オペラの支持層が王族・貴族から市民へ移った。題材についても、王族・貴族の好んだギリシア神話が人気を失い、かわりに革命期の市民が好む「救出オペラ」などが人気を博した。

1802年、革命の実話を題材にしたオペラ『二日間』(ケルビーニ作曲)がウィーンで上演されることで、フランスの「救出オペラ」がウィーンで人気になった。ベートーヴェンは『二日間』を最も高く評価しており、『二日間』の台本作家ブイイの台本でベートーヴェンは自身唯一となるオペラ『フィデリオ』を作曲した。『フィデリオ』は救出オペラの傑作として知られる

革命後の混乱期にナポレオン戦争(1799〜1815)が起こる。ナポレオンはイギリスを除くヨーロッパの大半を征服した。
戦争中にナポレオンはイタリアオペラに関心を持ち、パリに専用の劇場を開設した。ナポレオンの影響により音楽を含む様々な文化の中心はパリへ移っていくことになる。





A7月王政(1830〜1848年)

7月王政とは、7月革命(1830年)と2月革命(1848年)のあいだの時期で、裕福なブルジョアがパリに集まっていた。

ブルジョアは、「労働の対価として支払われる金銭」によって余暇の娯楽を買っていたので、率直に興奮を求めた。そこで歴史を主題としバレエや合唱を加え、様々な装置を使用した一大スペルタクルであるグランド・オペラというジャンルが生まれた
⇒マイアーベーア